STORY

ぼくらはどこから来てどこへ行くのか




<途上国で知った「自由」>

1985年はプラザ合意の年で、ここから円高はどんどん進んでいった。当時、大学生だったぼく、田中稔郎は、休みに入ると決まって海外へ旅立った。そのころのぼくは、土木技術者になって、途上国でダムや橋をつくることを夢見ていたから、旅のきっかけは、そのような国で暮らすことができるか、の事前調査のつもりだった。だが、最初に訪れたアフリカで、そのような心配は吹き飛んだ。



アフリカの田舎町へ行けば、日本人を見たことがない人がほとんどだった。ぼくは彼らにとって完全にstrangerであり、次にどんな行動をとるか、全く予測できない存在だった。日本にいてそんな存在になった経験のある人はいるだろうか?そのような状況下で、ぼくがどのような振る舞いをしたとしても、単にそれがぼくだ。「自由」とはこれだ、と思った。

日本ではどちらかといえば引っ込み思案だったぼくは、生まれ変わったかのように積極的な人間になっていた。ぼくは、自分の中に、そのような自分がいることをそれまで知らなかった。

日本へ帰れば、また元の引っ込み思案の自分に戻っていた。このときから「自由になれる」とはどういうことか、について考え始めた。



<スクラップヤードから始まった>

1990年代にニューヨーク州立大学バッファロー校の大学院で建築を学んでいるとき、建築模型をつくる材料を集めるためによくスクラップヤードへ通い、うず高く積み上げられた鉄スクラップの山から気に入ったものを探すのが日常であった。何度も訪れるうちに、スクラップヤードに、空間として他とは明らかに異なるものを感受していることに気づいたため、それが何かを解明する目的で修士論文「汚しうる美の建築」(1996年)を書き、帰国後、この論文を元に1998年に当社グリッドフレームを設立した。



この論文の中で、スクラップは「棄てられたもの」であるということが重要であると述べている。スクラップヤードではスクラップは巷にあったときの価値を剥ぎ取られており、①重さで価値が測られる均質な存在に変換されている。依然として、②過去は高級車の一部であった、など巷での価値をたどることはできるが、ここで機械に引きずられたり、踏まれたり、雨に晒された結果、③変形し、錆びついたりして、世界に唯一無二の存在に変化している。

すなわち、スクラップの山を眼前にしたとき、①②③の3つの視点が同時に成立する。模型材料として探す自分から見れば、このうち③の視点が卓越する。①②の価値が誰にも共有されるのに対し、③は見る者との間で1対1の関係で向き合うことで初めて価値が感受される。他者の視点は関与しない。言い換えれば、①②は「とりかえのきくもの」、③は「とりかえのきかないもの」として感受される。



<「つくられたもの」ではなく、「なったもの」の外部性を取り込む>

スクラップヤードも含めて、「とりかえのきかないもの」と向き合える空間や建築は、巷に忘れ去られたように点在する。風雨や太陽に晒されて風化した壁、車輪や人がいつも踏みつけることによって傷ついた床板、・・・それらは、空間や建築に「時間」という自然が作用した結果として在る。だから、それらは「つくられたもの」ではなく、「なったもの」である。

これらの「なったもの」から美しさを感じ取るとき、その美しさを「汚しうる美」(さらに汚れても質が変わることのない美しさ)として、それを感受することができる建築をつくりたい、という思いを論文のタイトルとしたのだ。



「なったもの」は「棄てられること」や「忘れ去られること」によって、人間の思惑の「外部」に出る。外部にあるはずのものに、内部空間で遭遇するとき、思わず凝視してしまうような③の視点が生まれる。それは、この「とりかえのきくもの」に囲まれた世界で「とりかえのきかないもの」に1対1の関係で出会う「自由になれる」瞬間である。なにものにも束縛されない中でしか、1対1の関係は成立しない。「自由になれる」ためには、この関係を成立させることだ、と思い当たった。

「外部性を内部空間に取り込んで自由になれる空間をつくる」・・・これがぼくらGRIDFRAMEの根幹をなすコンセプトである。



<グリッドフレームとは「なったもの」と共存するための「つくられたもの」>

社名「グリッドフレーム」は、ぼくが考案した、格子状骨組(グリッドフレーム)2枚で、間にスクラップなどの「なったもの」をはさみ込んで壁を成立させるシステムパーツの名称であり、そのままでは往々にして無秩序性が強すぎて、多くの人が怖いと遠ざけてしまう「なったもの」を、システムパーツがフレーミングする効果によってやわらげ、それらの外部性と人が直接向き合えるための「つくられたもの」として開発された。



もちろん、「なったもの」以外のものと組み合わせることも可能なので、素人でも工夫次第で多様な空間をネジを回すだけでセルフビルドできる、汎用性のあるシステムパーツとして開発した。

会社の設立当時は、システムパーツを東急ハンズなどでDIYのために販売することを試みたが、つくれるモノのサンプルとしてテーブルなどをつくると、パーツよりもサンプルを買いたいという人がほとんどだったので断念。アパレル店などからアパレル什器や衝立・テーブルなどの注文を受けて当社でシステムパーツでデザインしたモノを作成した。

その後、少しずつ店全体をつくってほしいという要望が出てくると、DIYを前提としたシステムパーツでは対応できない部分が多くなり、美大卒のアーティストたちをスタッフに迎え、墨田区に工場を借りて、金属加工を中心として木・コンクリート・皮革・ガラスなどさまざまな素材を使って店舗やオフィスなどの空間を制作する会社として地盤を固めていくことになった。



<躍動的に更新され続ける「創造性の連鎖」>

この設立から地盤固めまでの激動の間、グリッドフレームはシステムパーツでスクラップや「なったもの」を挟む仕事はほとんどなく、ぼくらの制作に使う機会も次第に減っていった。だが、ぼくらはデザインや制作の独自の進め方によって、「外部性を内部空間に取り込んで自由になれる空間をつくる」というコンセプトを実現する努力を継続してきた。その方法を「創造性の連鎖」と呼んでいる。



ある空間をつくるときは、クライアントインタビュー・基本設計→詳細設計→工場制作・現場制作という工程の流れで進んでいく。それぞれの段階で担当者が変わっていくが、「創造性の連鎖」の特徴は、設計で全てを決めてしまわず、<コンセプトストーリー>と<ビジュアルコンセプト>をバトンとして次の担当者へリレーされていく。そのとき、次の担当者にはある程度の決定や変更の自由度を与えられる、というものだ。

つまり、つくる人間全員が自分の頭で考えながら一つの空間がつくられていく。クライアントへ引き渡されるまで、当社において頭の中の空間が躍動的に更新され続ける。誰一人として最後までゴールの姿を知らない。これによって、一人の設計者の意図によって閉じられない、たくさんのつくり手の思いが込められた、エネルギーが高い、多様性のある、そして、よい意味で未完成であり続ける空間ができあがる。



<試行錯誤は個人にしかできない>

たくさんの人が一度に動くときは、一人が頭を動かして指示をして、他大勢はそれに従うことになる。指示の内容も、大勢にとって分かりやすいものである必要があり、また失敗によるやり直しはできるかぎり避けなければならない。だから、予定調和が成立するような平凡な内容になってしまいがちだ。



けれど、一人ひとりがリレーで仕事をする場合はどうだろう?それぞれが任された時間の中では、個人で自由に動いてもよいため、自分で責任を取れる範囲で「失敗すること」ができる。その試行錯誤こそが、つくる内容のレベルを向上させることができる唯一の手段ではないか。

プロジェクトの始まりから終わりまで、ずっと複数の人間の試行錯誤が連続していくのが「創造性の連鎖」である。



<「創造性の連鎖」の実績と課題>

このようにしてつくられた未完成でエネルギーの高い空間は、お店のスタッフやカスタマーにとって一対一で向き合うことで別々のなにかを発見できるような「自由になれる空間」となり、そのことが例えばスタッフの創造性を刺激し、引き渡し後も柔軟に更新され続けるお店になる可能性が高い、というメリットがある。



インターネットの情報では、美容室も飲食店も新規出店から5周年を迎えられるのはわずか20%に過ぎないと言われていたが、ぼくらが2004年以来全部をつくらせていただいた店舗は、2014年当時の統計では、美容室は19店舗中全てが営業中、飲食店は36店舗中32店舗が営業中という結果が確認された。もちろん、クライアントの実力こそが一番の理由である。この数字は、これまで意識の高いクライアントに恵まれたことと、上記のメリットがある程度実証されたことを示すと解釈している。

ただし、「創造性の連鎖」で実現される「外部性」とは、空間全体を予定調和の中に収まらないようつくっていく繊細な工夫の中で生じるものであり、空間の引き渡し時に多くのクライアントが驚きを表現してくださったにもかかわらず、クライアントとの関係性・デザイン制作期間などのさまざまな制約条件によっては、必ずしもすべてのプロジェクトで「外部性」と呼べる次元まで空間の質を高められたとは思っていない。まだまだ質を向上していける可能性が残されている。

一方、空間全体の立ち上げ当初に試みた「外部性」とは、「なったもの」が持つ直接的な「外部性」の意味であった。ぼくらは、目標である「自由になれる空間」により近づいていくために、空間や建築に「時間」という自然が作用した結果として「なったもの」を内部空間に取り込むことができるシステムを確立する必要性を感じるようになっていた。



<「なったもの」への回帰SOTOCHIKU>



ぼくらが「なったもの」を内部空間へ取り込むことを一度断念したのは、2003年頃だ。問題は次の二つであった。

 1.「なったもの」を内部空間へ取り込むためにつくったシステムパーツが、十分な汎用性を持ちえなかったこと。

 2.「なったもの」をスクラップ以外にはほとんど手に入れることができず、スクラップのみでは本来当社がつくりたい詩的な空間をつくることができなかったこと。

1.については、システムパーツを使用しなくても、弊社が22年間で培ってきた空間デザイン力と制作力によって「なったもの」を当時よりずっと効果的に空間づくりに取り入れていくことが可能であることが明らかであり、現在の問題にはなりえない。

より大きな問題は、2.である。当社が新しい空間づくりに使用したい「なったもの」とは、例えば、市中を歩いているときに通りがかった家の塀が、太陽や風雨に晒されて表情が変化したものである。このようなものには、それぞれに過ごしてきた時間の中での歴史があり、日常の中でこれを目にしてきた人たちの思いがある。放っておけば、いつか解体され、失われてしまうしかない現状がある。それをどうにかしたい。このようなものを素材として、新しい空間をつくることができれば、空間に詩的な作用を及ぼすことができる確信がある。しかし、素材として取得するためには、家のオーナーとの気の遠くなるような交渉が必要となる。

2017年から、「なったもの」を内部空間に取り込むプロジェクトをSOTOCHIKU(外築)と名付けた。(名前は、想定「外」のものを構「築」する、という意味を表している。)そして、「なったもの」を収集するシステムづくりに取り組み始めた。解体業者や造園業者などに働きかけたが、コンセプトには賛同を受けても、労力に見合う利益をシェアする構造を確立できず、時が過ぎていった。

2019年、古着を寄付で集めるサイトにヒントを得て、「なったもの」を所有するオーナーが寄付を表明することにより、「なったもの」を収集する方法を思いつく。まずは、寄付の表明を受けた「なったもの」の中から、新しい空間づくりのデザインに活用したいものをぼくらが選び、クライアントから提案と見積の承諾を得たとき、寄付が成立する。寄付先は、ぼくらがその活動に強く共感する3つのNPO法人からドナーがひとつを選ぶ。寄付金額は見積額からその40%のぼくらの手数料を引いた金額だ。選ばれたNPOは、寄付証明となる領収証をドナーへ発行し、ドナーは確定申告時にそれを所管税務署へ提出し、最大で寄付金額の約50%を寄付金控除として受けられる、という仕組みである。



<SOTOCHIKUの今後の歩み>

2020年、上記の仕組みの法的適合性を整え、広く一般のSOTOCHIKU素材の所有者から情報を得て、その中から新しい空間づくりに使用することができるように、ウェブサイトを構築し、告知を開始している。



2020年中に、複数のSOTOCHIKU空間を完成させ、来年以降は年間10件以上を完成させることを目標に置き、今後の当社のつくる空間のスタンダードにしていきたいと考えている。

これにより、そのままでは廃棄処分となってしまう素材(SOTOCHIKU素材)に新たな生命を吹き込み、新しい空間において素材を生かす道を作ることにより、素材そのものの価値を永続させるという社会的価値を作り出すと共に、新しい生命を付加された素材の対価を各種NPO法人に寄付するというカタチでの社会貢献活動を行なっていきたい。

SOTOCHIKUは、市中に散らばる建築などの朽ちた部分や汚れた部分を別の視点で評価する観点を提示するものであり、SDGsの「11.住み続けられるまちづくりを」に関係すると思われ、また、「12.つくる責任 つかう責任」にも、取り壊されるものから積極的に新しくつくるものの素材を取り出す、という新しい概念を創出する可能性を秘めていると感じている。

さらに、今までにない、より豊かな空間づくりが可能になり、GRIDFRAMEの根幹をなす「外部性を内部空間に取り込んで自由になれる空間をつくる」というコンセプトの実現にいっそう近づいていきたい。