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2022.01.09 CONCEPT

世界スクラップヤード化計画

スクラップヤードにはあらゆるものが集まる。高級車のスクラップだろうが、大衆車のスクラップだろうが、その価値は重さで測られる存在に変わっている。そんなかたまりたちが好き勝手にゴロンと転がっている。なにか懐かしいような場所である。

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人が「自分の居場所がない」というとき、それは物理的な意味よりも、むしろ精神的な意味にとるのが一般的だろう。往々にして、原因は人間関係にあったりするが、その人間関係は逆に物理的な場所から生じたりする。物理的な空間を無視することはできない。それらはニワトリと卵の関係にある。

 

人間のみならず、モノに関しても居場所のなさを感じることがある。宝石屋さんに生野菜が紛れ込んだ姿を想像してみる。生野菜は「無関係な存在」である。また、本物のダイヤの山にガラス玉が紛れ込んだ姿を想像してみる。ガラス玉は「劣等の存在」である。居場所がない理由には、これら二つの場合がある。これは人間にもあてはまる。

 

人間はその場所に自分が無関係だと思ったり、自分は劣っているのでそこにいる資格がないと思ったりしたときに「自分の居場所がない」と感じる。しかし、それは思い込みに過ぎないのではないか。本当は「自分の居場所」はどこにでもあるのではないか。「自分の居場所」を増やすことによって、それぞれの人生は深まってくる。

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スクラップヤードには全てが共存している。高いものと安いもの、新しいものと古いもの、大きいものと小さいもの、かたいものとやわらかいもの、・・・。全てが捨てられたものであることだけが唯一の共通項だ。スクラップが居心地よさそうにしていると、そこにいる自分も居心地がいい。

 

誰もが自分の居場所を見つけることができる空間づくりのヒントは、スクラップヤードにある、と思う。ものの居心地をよくしてやることである。新しく何が入ってきても場がおかしくならない。そんな大きな受け皿はどんなふうにつくればいいのだろう。

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スクラップヤードに集まる「捨てられたもの」たちは、以前持っていた機能や意味から完全に解放されている。それを見る側は、目に映るものをあるがままに見ることができる。あるがままの世界は混沌としている。そのような世界はあらかじめ整理されていないため、それを見る者がクリエイティブに意味を取り出していくか、ぼーっと眺めているか、どちらかしかない。

 

私がスクラップヤードに懐かしさを覚えるのはおそらく子供のころはこのように世界をあるがままに見ていたからだ。子供のころはある場所にとって自分を「無関係な存在」と見なすこともなかったし、「劣等の存在」と感じることもなかった。どこへでも自由に入っていくことができた。成長するとともに入ってはいけない場所が増えてきた。その場所と自分の関係を理解して、自分を「無関係な存在」「劣等の存在」と定義するたびに、その場所に自分の居場所はなくなっていく。

 

誰もが自分の居場所を見つけることができる空間があるとすれば、意味が前提として存在しない空間である。「ここは一体何なんだろう?」と誰もがどこかで思うような空間だ。そのような空間をつくるためには、空間の構成要素をすべて「素材」として捉えることだ。たとえば、それが高名な画家の絵であっても、それを作品として捉えず、鉄の塊や木ぎれなどと同じ「素材」と見なす。社会的な価値基準を取り払ったところでモノと向き合うことができれば、空間はスクラップヤードに自ずと近づいてくる。そうなれば、次に何が入ってきてもよいし、誰が入ってきてもいい。

 

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世界をスクラップヤード化していく計画を進めていこうと思う。賛同される方いらっしゃるならば、ぜひお声をかけていただきたい。どこにでも「自分の居場所」をみつけることができる未来のために。

(2001年11月 OPUS創刊号に寄稿)

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