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2015.02.10 STAFF BLOG

街はどんどん偽物に乗っ取られている?

先日、あるテレビ番組で作家の小林國雄さんが手がけた1億円の盆栽と、針金や紙テープで作った工芸盆栽を見分けることができるのか??
というコーナーがありました。
だいたい半々ぐらいに回答がわかれました。

また別の番組で、小学校の教室を模したセットの中で、食べられる素材で作ったお菓子はどれか当てるコーナーがありました。
だいたい7~8割の正解率だったかと思います。

何の話かというと、フェイクで質感を表現する技術はすごいけれどそんなに分からないのかとちょっと怖くなったという話です。
本来、人は感覚で本物か偽物かわかる目を持っているはず、けれどそれを凌駕されたら??

フェイクが生まれた根源は本物への憧れであることは間違いないと思います。
本物はそう簡単には手に入らない。
だから、似ているものが安く売っていれば喜んでそれを手に入れようとします。
本物かどうかがあまり重要な問題ではなくなっている。
安くて、簡単に、自分の欲してるものに見えるものが手に入る。
けれどそれは本物ではないのです。
では”本物”とはなんなのか??

リーミンウェイというアーティストの作品で、河原で気に入った石を拾い、それを精巧に模したオブジェと対になって売られているアートがあります。
そして、そのアートは購入後、本物の石と精巧に作られたオブジェのどちらかを選択して捨てなければいけません。そうすることで、このアートは完成
します。そして、こうも付け加えられています。
”捨てるのはいつでもいい”と。

あなたはどちらを捨てますか??
この話し方だと、オブジェだということに話を落ちつけそうな流れですが、おそらくこの作品はどちらを捨てようかと考えること(考え続けること)が大事なことなのだと思います。
本物か、フェイクか。この場合、作り手はアーティストなのでフェイクもまた本物であるとも言えるので、さらに難しいですね。

さて、話を戻しますがそもそも”本物”とはなんなのか。
同じものでも人によってそれが本物であるのか、偽物であるのか違ってくることもあると思うのです。
では、あなたがこれは本物だと思えるようになる基準はどこにあるのか?

私はその一つの大きな基準が”時間”だと思っています。
時間の移ろいを自らが美しく体現してくれるもの、
普遍的に美しいもの、
朽ち果てる様まで美しいもの、
時間を重ねることでより良くなるもの、
どれも本物である証となると思いませんか?
(食べ物(一部を除く)はまたちょっと話が変わりますが。。)

そういうものが少しずつ、自分の周りでフェイクに乗っ取られているのではないかと思うと少し怖いのです。
「古くなったら新しくすればいい」より
「ちょっとづつ直しながらいいものを長く使う」
の方がカッコいい。
それは、持っているものだけではなく周りの環境すべてがそうであればいいと思うのです。
パッと見おしゃれな建物やお店、でもどこかで同じものを見たことがあるなという既視感、流行りの感じ・・・

先日、東京新宿区にある軍艦マンションがリノベーションされて再出港したそうです。
なんて素敵なニュースだ。
軍艦マンション_2

haru

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